明治5年頃の堺の地図
明治5年(錦小学校設立の年)の堺の地図。地図の右上が北。
地図の上側の港には「御臺場」(おだいば、砲台)の記載が2箇所みられます。そのあたりの赤丸は、現在の大浜公園。
その赤丸の右下には、現在の南海本線堺駅、その右側には「製糸場 泉州紡績會社」との記載。
地図の下側、環濠の中の赤丸は、現在の大阪府立泉陽高校のあたり。
地図の左側の赤丸には「高師ノ濱」(たかしのはま)の記載。この約30年後、このあたりには日露戦争で連行されたロシア人俘虜の収容所(濱寺俘虜収容所)が設けられることになる(1905年1月から翌年2月、収容俘虜総数は2万8千人超)。
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